東日本大震災被災地支援活動報告

■ 伊賀 文計 先生「東日本大震災医療支援チーム 現地レポート」
<4月26日(火)~4月28日(木)>

仙台空港にランディングして後、一挙に広がる震災のひづめに唖然としながら、ジャンボタクシーで石巻市に向かいました。海岸線から約数キロ奥を南北に走る仙台東部道路の東側は 被災状況が強く、道路を挟んで西側には被害が及ばなかったようです。交通渋滞する中、何とか目的の石巻市に到着し、さらに壊滅的被害を受けた石巻市沿岸部の惨状に驚嘆し、瓦礫の散乱する 町はまさに写真で見たことがある原爆投下直後の広島のようでした。

恐ろしい被害を目の当たりにして、震災で亡くなられた方々や被害をこうむった人たちに謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げました。
 さらに町中には打ち上げられたヘドロが報道 ではわからなかった悪臭を放っていました。
 こんな中で震災の復旧活動に携わっておられる多くの人たちに甚大なお礼と同時に、がんばれ日本、がんばれ石巻の言葉が心に浮かんできました。

私たちの任務は石巻中学避難所を拠点にして、山下小学校の避難所の仮設診療所、住吉中学の避難所の仮設診療所、公民館などでの診療活動でした。
 仮設診療所を訪れる患者様には心に 痛手を背負った方々がほとんどで、大きな震災がトラウマになって、心身ともに弱っている患者様がほとんどでした。
 避難所での生活も劣悪で、4月20日ごろまではおにぎりとパンの 支給程度にとどまり、寒々とした体育館に一人1畳半ほどのスペースをもらい、コミュニティーを大切にした近隣の人たちとの共同生活とはいえ、プライバシーも保てない環境で、やりきれない 日々が続いています。

このぬぐいきれない心の傷を一日でも早く、少しでも軽くしてさしあげる為には、この地の生活環境の素早い復興と地域医療の再構築が不可欠と考えられました。人口約17万人の石巻市には 震災前でも約70ヵ所近くの診療所しかありませんでした。石巻市民病院と石巻日赤があったものの、対人口からすると医療の過疎地です。その石巻が震災で市民病院が崩壊し、約70ヵ所あった 診療所もその1/3が全壊しました。

現在は全国津々浦々から医療の支援活動が提供されていますが、この医療の支援活動が終了したらどうなるのでしょうか?地元医師会が中心になって地域医療の再構築に早く立ち上がって もらいたいものです。